私の自伝をお読みになった方なら、悟りとは科学というより、むしろ芸術に近いものだと感じられるはずです。求道者が究極の自由を実現するために踏むべき明確なステップは確かにありますが、そこには一人ひとり固有の「踊り」が入り込む余地もあります。ただ、ほとんどの求道者にとっては、構造があり、輪郭がはっきりした霊的システムを持つ利点のほうが、欠点を大きく上回ることを私は観察してきました。
熟練して作られた「悟りのマップ」あるいは体系は、霊的道程におけるさまざまな段階への理解を深める助けとなるだけでなく、道を外れたり脇道に逸れたりしないための方向感覚も与えてくれます。そうでなければ、道を見失って迷いが生じ、明確な方向性や目的意識を欠いたまま、努力に見合う実質的な進展がないという状態に陥りやすいのです。
そこで私は「Tree of Liberation(解放のツリー)」を創りました。解放へ至る道のりに沿って現れる本質的な段階、状態、そして転機を示す、シンプルで率直な体系です。言い換えれば、教えを薄めることなく、それでいて理解の面では親しみやすく、しかも非常に大きな実践的価値を持つものです。非二元の教えはしばしば、「ただ気づいていなさい」「ただ“私は誰か?”と問いなさい」といった形で曖昧なまま薄められてしまうか、あるいは反対に、知的で概念的で密度が高くなりすぎます。しかし、この両極のあいだにある中道こそが、大多数の志願者にとって最善のアプローチであることが多いのです。

以下は、「Tree of Liberation(解放のツリー)」に沿って示される、解放へ至る道の主要な3つのフェーズです:
1. 自己実現のフェーズ
このフェーズには、識別の目覚め、内なる感受性、そして最も高次の希求の目覚めが含まれます。これらはあなたを、プレゼンス(臨在)の状態とハートの次元へと目覚めさせ、同時に〈在ること〉への明け渡しへと導いていきます。やがてそれらは、「I am(私は在る)」への力強い覚醒として結実し、自然本来の境地へ到達してそこに確立することを可能にします。そして次第に、普遍意識の境地へと拡がっていきます。このフェーズで中心となるのは、自己の発見と自己を知ることです。

2. 絶対のフェーズ

3. 妙なる空(みょうくう)のフェーズ

求道者の大多数は、いまだ道の第一フェーズに入っていません。今はさまざまなスピリチュアリティや理解の形を探り、二元的な実践を行っている段階です。そうした実践や教え自体に本質的な問題があるわけではありません。ただ、そこに非二元の「要素」が含まれていなければ、自己実現へと運ぶ推進力にはなりにくい、ということです。というのも、それらの実践を行う主体はエゴであり、偉大な聖者ラマナ・マハルシの言葉を借りれば、それは「泥棒を警官にする」ようなものだからです。泥棒はあなたに付き添い、泥棒を捕まえるふりはするでしょうが、結局は何も得られません。これは、あなたがこれまで知り、学んできた霊的実践・教え・技法の大半にも当てはまります。 この観点から、私の教えの大きな部分は、求道者を無明の状態から押し出し、「Tree of Liberation」の第一フェーズへと推し進めることに向けられています。自然本来の境地に確立した者だけが、次に「その先」を見はじめ、普遍意識の境地へ、そしてその後に絶対の状態へと向かうことができます。非二元のアプローチと適切な導きがあれば、自然本来の境地に確立することは明快で、まっすぐです。その後、普遍意識の境地への拡がりは自然な帰結として起こります。しかし、現実の神秘へさらに深く入り、最終的に未顕現へと溶解していくためには、導きと指示はより具体的で、求道者の「生きた現実」が絶対の状態へと流れ込んでいくあり方に合わせて、いっそう個別に調整される必要があります。 第3フェーズは、悟りの「現実」そのものが別物です。対象を超えるだけではなく、主体そのものをも超えていき、あらゆる実体化がほどけ落ち、完全な無参照性へと転換します。現実の裸の経験には、主体も客体も活動もありません。あるのは、ただ如(そのまま)だけです。ここは、主客の空性の領域です。
もし出発点を探しているなら、次のことを観照してみてください:
– 識別の目覚め
– 最も高次の希求の目覚め
– 内なる感受性の目覚め

臨在を通した気づき、ハートを通した愛、そして明け渡しによる不動性によって、あなたは「I am(私は在る)」へと目覚めていきます。I amとは、至福を通して自らの〈在ること〉に気づいている状態です。気づきはそれ自体を知り、ハートは内側から愛と至福によって神性に触れ、すべては明け渡しを通して〈在ること〉の不動性に根ざしていきます。
I amとともに在ることは、気づきに気づいていることと同じではありません。それは、自らを愛する気づきとして存在することです。そして、その至福に満ちた自己認識としての〈在ること〉へ明け渡していくところに、超越への扉があります。
しばしば霊的教えは「自己(Self)」を気づき(awareness)と同一視します。しかし古代のリシたちが見出したように、私たちの自己の本性は実際には〈在ること〉(sat)、気づき(chit)、至福(ananda)――すなわちサッチダーーナンダです。臨在はchit、〈在ること〉への明け渡しはsat、そしてハートはanandaです。ゆえに、私たちが自然本来の境地、すなわち「真の自己」を実現しようとするとき、これら三つの「次元」から実践と理解へとアプローチする必要があります。もっとも、それらは本質的には一つであり、三つではありません。
– Av Neryah
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